翻訳と辞書
Words near each other
・ アナクシメネス (クレーター)
・ アナクスナムン
・ アナクラシス
・ アナクレオン
・ アナクレオン (小惑星)
・ アナクレオン体
・ アナクレトゥス
・ アナクレトゥス (ローマ教皇)
・ アナクレトゥス1世
・ アナクレトゥス2世
アナクレトゥス2世 (対立教皇)
・ アナクロ
・ アナクロニスティック
・ アナクロニズム
・ アナクロマシス
・ アナグマ
・ アナグマ亜科
・ アナグマ属
・ アナグマ語
・ アナグラ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

アナクレトゥス2世 (対立教皇) : ウィキペディア日本語版
アナクレトゥス2世 (対立教皇)[あなくれとぅす2せい]

アナクレトゥス2世(? - 1138年1月25日)は、ローマ教皇であるインノケンティウス2世対立教皇である(在位:1130年2月14日 - 1138年1月25日)。
== 生涯 ==
ローマの出身で、フランスパリで勉学した後、クリュニー修道院修道士となる。1111年1112年とも)に枢機卿に叙任される。以後も歴代教皇の側近として信任が厚く、そのため1130年2月にホノリウス2世が死去すると、多くの枢機卿やローマ市民はアナクレトゥス2世を擁立した。
しかしアナクレトゥス2世の反対派である少数の枢機卿らはインノケンティウス2世を教皇として擁立した。それから両教皇はお互いを正当な教皇として対立し、一時はインノケンティウス2世をローマから追放したアナクレトゥス2世の優位が続いた。しかし神聖ローマ皇帝であるロタール3世皇帝としての戴冠を条件にしてインノケンティウス2世を支持してローマに進軍する。また、東ローマ皇帝であるヨハネス2世コムネノスや当時神学者として権威のあったベルナルドゥスもインノケンティウス2世を支持した。このため、アナクレトゥス2世は一気に不利な状態に陥り、結局レオ城に監禁状態に置かれて1138年1月25日に死去した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アナクレトゥス2世 (対立教皇)」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.